아쿠타가와(芥川)문학에 있어서의 ‘죄의식’과 ‘고백’

초록

芥川の最晩年の文学には<罪の意識>が表れるが、直ちに<宗教性>などに結び付けられるべき性質のものではない。本稿は、芥川文学には宗教性および信仰心などはそもそも見当たらないという観点から始まる。そこで、まず、芥川文学に散見される<道徳>の用例を取り上げ、芥川の<罪の意識>とは不倫や不孝といった社会的規範に起因するものではなく、個人的な<モラル>によるものと分析した。それから、芥川が終生憧れて止まなかった志賀直哉に対する最晩年の賛辞の言葉<道徳的清潔性>における<道徳>という語ををもって、論を展開させていった。つまり、芥川の<罪の意識>とは行為そのものによるものではなく、<偽りの意識>に基づいており、思惟と行為の一致を追い求めるものと論じたのである。 次に、芥川の晩年の一連の作品から、<宗教性>などを概して見い出していることは、<告白体>という叙述様式にその原因があると見做し、それを小説美学の範疇の中において考察した。つまり、芥川は<罪の意識>を告白しているのであって、<罪>自体を告白し懺悔しようとする意志はなかったのである。芥川文学からは早くから<告白>についての複雑な感情が読み取れるが、それは自然主義流の<私小説>に対するものといえる。 最後に芥川の<告白体>について二つの観点でまとめた。第一、それは<偽りの意識>、即ち<罪の意識>で苦しむ己の存在の在り方をそのまま是認する形で示されており、己をそのまま描き出すことで、志賀的な<道徳的清潔性>を確立しようとする意志の表れと見做した。第二、最晩年、感心を示していたフロイト式の精神分析学もしくは<無意識>の概念の受容と見做した。本稿ではそれを<意識のリアルリズム>と呼んでおり、その方法の一環として、最晩年、自ら提出した<話らしい話のない小説>論、つまり伝統的な<話>の解体として<告白>体が完成されたと結論づけた。

키워드

아쿠타가와 류노스케(akutagawaryunosuke); 죄의식(sense of guilt); 종교성(religious nature); 도덕관(moral sense); 고백(confession)
제목
아쿠타가와(芥川)문학에 있어서의 ‘죄의식’과 ‘고백’
저자
김명주
발행일
2009
저널명
日本語敎育
호
49
페이지
77 ~ 92