아쿠타가와 류노스케(芥川竜之介)와 이상(李箱)문학 비교 -도쿄(東京)를 중심으로-

A Study on the TOKYO in Akutagawa & Yisang' Literature

초록

文学において空間の示す意味は果たして大きい。李箱文学における東京はまさにその通りである。本稿は、李箱文学の原点ともいわれる芥川文学を通して、主として<東京行>および東京の示す意味を探ったものである。先行研究において単独的な論は見当たらない。 まず、二章では、李箱の<東京行>について考察した。先行研究において概して自殺と同一概念と見做されてくるが、実は文学的、芸術的指向性を求める旅という観点に立ち、論を進めて行く。論証のための資料は意外に乏しく、そこで、作品や家族や知人などの証言を資料として扱った。その結果、具体的な目的意識は見い出せなかったにせよ、芸術や文学に対する熱い思いが確かめられた。 三章では、東京嫌悪について考えた。李箱の期待とは裏腹に、東京は嫌悪に満ちたトポスに過ぎなかった。しかしながら、その嫌悪の念は単純に物質的な西洋近代文明によるものではなく、自ら追い求めていたある精神的な指向性に巡り合えなかったためであろう。そこで、否応なしに芥川竜之介や牧野信一に原点回帰せざるを得なかったと見定めた。 四章では、芥川文学をもって李箱の<東京行>および東京に対する嫌悪意識を考えた。まず、芥川の東京嫌悪に触れ、芥川の場合は西欧近代文学に基づいた全面的な自己否定の様相を示す一方、李箱にはそのような己への否定意識は見当たらないと見做した。それから京城への郷愁は心身とも疲れ果てた李箱を生理的に感覚的に誘うものに過ぎず、思想的なところにまで及ぶものではなかったのである。 李箱の内部の奥底に秘められた京城への郷愁感情の意味を細かく読み取るまでには至らなかったこと、また、牧野信一に触れていながらも具体的な論証はできなかったこと、それから論全体が推論に終っていることなどは本稿の限界であり、これからの課題でもある。

키워드

이상; 아쿠타가와 류노스케; 마키노 신이치; 도쿄; 경성; 芥川竜之介; 李箱; 牧野信一; 東京; 京城
제목
아쿠타가와 류노스케(芥川竜之介)와 이상(李箱)문학 비교 -도쿄(東京)를 중심으로-
제목 (타언어)
A Study on the TOKYO in Akutagawa & Yisang' Literature
저자
김명주
발행일
2008
저널명
日本語敎育
호
44
페이지
193 ~ 215